ご挨拶
救急・集中治療部長、高度救命救急センター長(教授)
井上 貴昭
専門/救急医学、集中治療医学、外傷外科学
資格/救急科専門医、日本救急医学会指導医、集中治療専門医、外科専門医、日本外科学会指導医、熱傷専門医、外傷専門医、麻酔科標榜医、ICD(Infection Control Doctor)、日本医師会認定産業医
1993年に筑波大学を卒業後、日本の救急医学の老舗ともいうべき大阪大学特殊救急部で研修を開始し、現在の水戸医療センター外科、大阪府立急性期総合医療センター、そして大阪大学高度救命救急センターにおいて、主に外傷外科、熱傷、重症集中治療の診療に取り組んで参りました。その後、University California San Diego, Beth Israel Deaconess Medical Center, Harvard University Medical Centerに研究留学の後、2008年より順天堂大学浦安病院救急診療科において、救命センターの新規立ち上げに参画する機会をいただきました。そして、母校の救急・集中治療科の更なる拡充と愛着のある茨城県の救急医療体制の発展に貢献するべく、2016年に赴任いたしました。
救急で扱う急病や事故は大きなものから小さなものまで、誰もが一度は必ず経験される人々に最も近い医療で、その意味において救急医療は社会に最も密接した医療の原点です。そのため、社会が変われば、救急医学に求められるニーズは自ずと変化を遂げます。
私が生まれた1960年台は、戦後から復興と経済発展の弊害として交通事故犠牲者の急増の一方で、外傷を中心とする救急患者に対応できない病院診療体制から“たらい回し”なる用語が生まれ、1970年よりこのような患者に対応できる病院機関として全国各地に救命センターが認可されました。
時代は移り変わり、医療が高度専門分業化する一方で、専門外を理由に受け入れ対応ができないケースや高齢化社会の中で急増する救急搬送患者に対応しきれないケース、更には救急スタッフ確保の困難と疲弊による救急告示病院の激減などが相次ぎ、再度“救急患者のたらい回し”なる用語が再来することとなり、軽症から重症、内因性疾患から外因性疾患まで広くカバーできるER診療と集中治療を合わせて実施できる救急医が求められるようになりました。
それに加えて、大規模災害にも対応できる有事でのリーダーシップ、ドクターカーやドクターヘリに代表される病院前診療、そして社会における救急医療体制全体をマネージメントするメディカルコントロールの中心的役割が求められるようになりました。現在の救急医には、院外心肺停止に対する緊急処置の教習や院内急変患者対応などの教育者としてもニーズが求められ、与えられる任務と責任は年々高度多角化してきています。
このように、救急医は時代と社会、地域のニーズによって姿形を変えていく必要があります。現在の救急医学は、専門技術の高度化と医療機器の進歩によりますます専門的知識が要求される時代になってきており、これからの救急医療の展開には、多職種の連携と複数診療科医師による専門診療の連携によるチーム医療の充実化が必須です。救急医は扇の要となり、時にまとめ役となるオーガナイザーとして、時に指揮棒を振るコンダクターとして多職種スタッフや複数診療科医師が密に連携し、地域のみなさまが安心して過ごせるセーフティーネットを構築するため、病院全体、更には地域全体のサポート体制を確立させていきたいと思います。
また、茨城県は全国的に見ても医師不足地域であり、中でも救急医療を支える専門医数は人口比あたり全国ワースト10位に入る状況です。従って、救急医療を支える次世代の数多くの若手救急医の育成が急務です。今後筑波大学における救急・集中治療診療グループを再構築し、県内及び日本国内からも注目されるような、臨床、教育、研究の中心的施設として機能するよう努力し、大学病院に求められる臨床と研究、そして次世代を担う若手医師・学生、多職種の教育に力を注いで参りたいと思います。